バレーはテレビでは見たことはありますが、本物を舞台で見たことはないです。
こんなことを言ってました。
バレーには余韻が無くてはいけないし、一つのバレーを観ていてもその受け取り方は観客それぞれ違っていていいものだと言ってました。
そしてバレーの筋書きの最後の答えを見せないで終わるのがいいとも言ってました。
それは映画でも絵画でも詩のような全ての芸術に共通のことであるとおっしゃっていました。
俳句も同じだなぁと思います。
俳句の感じ方はそれぞれ違っていていいのですね。
俳句ではそう言われてましたが、絵画で余韻を意識したことはなかったです。
今日まで単なる写生をしてたかなと考えてみたく思います。
多摩川学園駅前を描いてみました。