大久保の街

少し前に囲碁同好会で大久保駅から歩いて明治通りに向かう途中にある区の施設で公民館を使わせてもらいましたが、大久保通りは韓国系、アジア系そして日本の若者が歩道を埋め尽くしてました。

そして公民館についてたらその会議室とか和室なんかが外国人にすごく利用されていて、我々囲碁仲間は日本人だけのグループでをしたがこちらが施設を利用させていただく様な雰囲気でした。

学生の頃はアパートとか下宿なんかが多い街と記憶してました。

それが、新宿歌舞伎町の裏手にあることからラブホテル とかが出来たり、在日コリアンのロッテ工場で働く韓国人とか台湾人の木賃アパートも出来て、彼らを相手にする飲食店もできました。

今ではフィリピン、ベトナムの留学生も大久保の日本語学校にくる様になり、とても国際的な街になってしまいました。

元々、大久保、百人町あたりは江戸末期外国船がやってきて、そのための下級武士をこの辺りに住まわせたことから町の歴史が始まったらしい。(建築雑誌 11月号 から)

百人町の名は鉄砲百人組に由来するとか。

世界第4位の移民大国になった日本ですが、日本人と外国人が混ざり合う中でどの様に対応すればのかまだ見えてはないです。

ヒルトン東京の泊まり客の8割がたは外国人です。こうしたインバンドも含めて日本人の立ち位置もしっかりしないと…