家庭の変容

家庭という文字は家と庭で構成されています。

それが最近変化してきています。

散歩がてら、昔子供を診てもらった医院ですが最近敷地が二つに分割されて住宅が2棟工事中となっています。

昔は医院とそれを取り囲む緑がありました。

小さい頃の住宅は板塀とか万代塀とかで隣地や道路から視線が遮られ、塀の中はそれぞれ小さな庭がありました。

まさしく家と庭があるので家庭という言葉に違和感はなかったです。

家は人の住むところ、庭は植物と虫とか金魚とかの小動物の棲息の場所でした。

最近の新築の住宅を見るとほとんど塀なんか無くなっていて道路から直接コンクリートの土間の駐車場になっていて、ぽつんと洒落た門柱がたち、せいぜい植木鉢を何個かさすように出来ています。

家はあるけど庭が消滅してしまっています。

地球は人間だけのものという思想です。

その結果、どんなことが起きたかというと報道で日本の学童の理科学のレベルが世界のレベルから落ちているというような報道がされています。

当然だと思います。

庭には自然がありました。人間が生きていくためには庭は不必要と思われたと思います。

花鳥風月の消滅ですね。

俳句の句会で毎月、季語を何個か用意されそれが兼題として創句するのですが、蜥蜴とか蚯蚓とか蜻蛉とか出されてもそれらの風景は家庭でも近隣でもお目にかからないので公園とか散策して俳句のヒントを探さなければならないです。




子供たちにとって昆虫はデパートとかスーパーで買うものと思われてしまってる様な気がします。

網持って、蝶々とかトンボを追いかけたりは見なくなりました。