瀬戸内寂聴さんは徳島の生まれで僕の先輩と同じ学校です。
99歳で昨年亡くなられましたが、本当に気持ちの動くまま好きな人生を送られたと思います。
映画では51歳で坊主にならなければ、そのまま男を追い掛ける人生だったと言っています。
出家してからは仏様の導きでそのような人生展開にはならなかったと言っています。
好きな様に気持ちのまま生きても人生が全う出来るんですから、これは凄いなと思います。
寂聴さんは大正、昭和、平成、令和と白寿まで生きたが徳島空襲の時、昭和20年7月4日にアメリカ軍の大空襲の夜、寂聴さんの母は防空壕で焼死しています。
先輩は同郷の眉山の新町尋常小学校での後輩で寂聴さんに詳しく「寂聴尼の世界に遊ぶ」という自家本を僕にも一冊くれました。
寂聴さんの「美は乱調にあり」とか「煩悩を清浄にする」とか僕には到達することが出来ない境地が読めます。
「行きながら死ぬ」そんな気持ちで出家したと思います。
猛暑の中、家に戻ったら慶応の先輩から新潟のお酒が届いてました。
冷蔵庫で冷やして今晩は冷酒でいきます。
今日も日中の気温は33度、上映中は体が冷えてましたが外へ出て駅まで歩くうちに汗が吹き出してきます。
寂聴尼は祇園の一流の「一力」、「富美代」にも川端康成のお供であがっているが、招待客としてだけでなく身銭を切って祇園の裏表を知り、華やかなるものの虚しさも知っていると先輩は認めてる。