「おらあ おらあ ひとりで いぐも」を読んだ。
家族かを読んでほっといてあった本です。
著者は芥川賞を受賞した若竹千佐子さん。
登場人物は亡くなった主人公の旦那さんと娘さんとお孫さん。
戦後の個人主義社会の流れ着く末を見ているようでした。
夢とか理想とか挑戦するものとか見えない。
戦後、フランスの建築家コルビジェが住宅を機能主義的に解釈して最小限住宅なんかを提案してます。
住宅公団仕様の3DK住宅なんか見てると、夫婦の寝室に子供部屋が二つ、それと台所を兼ねたダイニング、それとトイレ、浴室の水まわりです。
住宅は外で働く労働者が職場から帰って休息し明日の英気を養うところという思想です。
地域も工業地域、商業地域と都市も機能ごとに分けられてます。
これでは動物の巣と同じです。
江戸時代の農家とか武士の家をみると家の一番いい場所に玄関があり、これはお客様用の出入り口でした。
家族のはもう少し奥まった勝手口のようなところから出入りしてました。
まずはおもてなしです。
こうした考えは昭和の初期まで、残ってました。応接間というのがありました。
僕も自宅に応接間を作り、応接用家具とか絨毯を敷きました。
でも、来客は車のセールスマンくらいでしたが。
こんな社会をつくったのは、コルビジェに洗脳された建築家達だと自分を含め反省してます。
上は東大から末端の大学まで建築を学ぶ学生は
コルビジェから学んでます。
鉄とコンクリートを使ったコルビジェの思想の良い面ばかりが強調されすぎてるんじゃないかと、今回の小説を読んでまた、感じました。
役所仕事のミスで今日も午前はしっかりと絞られてきましたが、お盆の真っ只中に気がつきお迎え火を夜に焚きました。