もう死ななくていいのね

今日は百草園でのスケッチ会でした。

京王線百草園駅から百草園までは4〜500mの急な登り坂です。

僕も急な坂道を3,4回休んで入り口まで到達しました。

20分以上かかりました。

同じスケッチ会仲間の加東さんはやはり駅から徒歩で着ました。

何度も何度も休んで30分以上掛かったとの事でした。

こんなに急な坂道ならタクシーにすればよかったと嘆いていました。

加東さんは昭和4年生まれの女性で日米戦争の時は江東区に住まわれていましたが中川より千葉寄りなので焼夷弾による火災を逃れられたと言っていました。

戦時中は16歳で学徒動員の時代でいつ死ぬかいつ死ぬかと思いながら生きてこられたと言ってます。

戦争中食べるものが無くてあらゆる雑草を毒がないかどうかを調べて何でも口にしたそうです。

その結果戦争が終わると何でもかんでも美味しくて一時肥満になられたとの事です。

戦争直後に加東さんが最初に口から出た言葉は…
「もう死ななくていいのね」
でした。

スケッチ会で昼過ぎまで水彩画に取り組むには食事をしなければならないので関係者にこの辺で食事をするところはありますかと訊ねたら、園を出て400mのところにありますとの事でした。

そんなに降ったら、また戻るのには大変だと思い腹ごしらえになるような食事を諦めて、園内で一本500円の串団子で済ませました。

腹一杯にはならないが、戦時中の加東さんに比べればよっぽどマシと諦めて午後も作品に取り組みました。

今日は梅の木を写生しました。

加東さんは95歳ですが、沖縄のヒメユリ部隊の女子と同じ年齢なので昨年沖縄に息子さんに同行してもらい祈りを捧げてきたという事でした。

それにしても戦争をたくましく生き抜いてきて今も僕らと同じ絵画教室に参加されているのには畏敬の念が沸きますね。