今日は大安で大寒ですが、朝4時半過ぎにただならぬ電話の声に起こされました。
家内の姉さんから緊急の電話でした。
義母が心肺停止だという。
特養ホームにいるはずですが、救急車で自衛隊池尻中央病院に向かって欲しいとの連絡でした。
はじめは娘の容態が急変したのかと思いましたが、少し違う様でした。
急遽顔だけ洗って着替えて6時前に駅に向かいました。
大寒だけあって寒いのでホカロンをポケットに埋め込んで冬帽子で駅に向かいました。
駅はまだ6時だというのに座れないくらいの混みようです。
みんな黒っぽい服で日本は昔と変わらないと思いました。
表参道あたりまで来ると池尻の自衛隊病院ではなく、碑文谷警察に向かって欲しいとの連絡が来て急遽方向変換して渋谷から東横線に乗り換えて学芸大学駅に向かいました。
渋谷の東横線の駅ホームははじてめ目にしましたがクジラの胸の中にいる様な雰囲気です。
駅からタクシーを拾おうとしましたがここはタクシーが来ない駅と分かり徒歩で20分ほど歩き碑文谷公園を過ぎて警察署に着きました。
担当の警察官が遺体の整備をするのでしばらく待つ様に指示されようやく親族が集まったところで死体安置所に連れて行かれ、お線香をあげお別れをしました。
まだ死亡診断書が無いので検死する可能性もあるので、一旦警察署から出て待機することになりました。
どうも老人ホームで介護士さんが毒の注射針を差し込んだ事件なんかあったので警察も慎重になってるのかもと後で勘付きました。
そのうち義兄から特養ホームの医者が死亡診断書を書いてくれたとの事で検死に至らずホッとしました。
そのうち予定していた葬儀屋さんと警察で義兄夫婦が戻ってきたら、ご遺体は葬儀屋さんが引き取り、葬儀の日程もほぼ決まってきました。
みんなで義兄の報告を聞きながら葬儀日程と戒名とかお食事とかお酒はどうするのかとの話になり、コロナも拡散してるのでお通夜無しで一日で終わる様な形になりました。
おばあちゃんは遺影の写真とか葬儀屋さん関係もなくなる前に決めてくれてあったのでその辺はスムーズに進んで行きました。
ただ戒名は院居士だと100万円は最低かかるというので、今後の三回忌とかずっとお金が掛かるので安いのでいいのではと僕も言ったところ、義父の戒名と格差をつけたく無いというのでそれ以上は言うのは遠慮しました。
命名料が数百万円ですから坊主丸儲けと言われるのも仕方ないですね。
帰りはマツターホンのケーキ屋さんがあったので親族はサンサンゴゴ退去しますがうちはケーキを一本買って帰りました。
葬儀は来週一日で決着で今日は一段落でした。
昔懐かしい鉄人28号さんも見つけて懐かしい日でもありました。
ご遺体に御焼香の時は涙を流しますが、100歳超えのご崩御は半分おめでたい気持ちも出てきます。
今までお世話様になりました。
安らかに…!