とうとう喜寿まで来ました。
だんだん遊び仲間も減ってきて今までの友を失わないようにと、新たに趣味の仲間開発が最近の心掛けです。
今日は奥歯のオペでした。
担当の女医さんがお料理の時に指を切ってしまい先週終わってるはずの手術が今日になってしまった。
出血も大したことなく、夕飯は昔のお客さんが送ってくれたそら豆をお酒のおつまみにし、誕生日ということで鰻丼でした。
買ってくれたお酒の銘柄は世界で一つの自分の名前のお酒でした。
お酒の桐の箱には当時の新聞が入ってました。
読売報知新聞です。
一面の記事は敵機716機撃墜、損害175機とあるが敵機の倍増がその後に続いてます。
この半年後に東京はアメリカ空軍のB29爆撃機により破壊され、我が家は無くなってしまった。
橋の下に親父が埋めた財産は橋ごと吹っ飛ばされて、我が家は無一文生活の始まりです。
食べるものがなく山形まで行き、疎開生活が始まりました。
今はコロナで大変ですが、大体100年の間にはこんな大変なことが起きますね。
山形でお袋は着物なんかを売りながら始めは食い扶持を繋いだましたが、そのうち親父が軍隊の食料係だったことからなんとか飢えることは無かったです。
今日は鰻を食べられましたが、小学校の給食が唯一の美食だったので今でも嫌いなものはなく何でも食べられるのが戦争が教えてくれた教訓です。
そのかわり、舌が肥えてないのがアンラッキーな事ではありますが…