終戦75年

終戦の鎮魂の日は8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下が毎年夏になると新聞、テレビに報道されます。

6月23日の沖縄戦終結も夏に報道されますがどういう訳か3月10日の東京大空襲はあまり報道されません。

この4つの一般市民をターゲットにした惨禍が日本人の記憶に残り、夏になると思い出されます。

どの空襲、空爆でも10万人以上が亡くなっています。

僕の場合は母から東京空爆を聞かされました。

母は親父と結婚したけど親父の兄弟8人の面倒見てたので親父と結婚より家と結婚という気持ちだったらしいです。

米軍のB 29が300機ほど連隊して東京上空から一般市民をターゲットに焼夷弾を落としました。

X方向が終わると今度はY方向から飛来してくるので逃げようがなかったと死んだ親が言ってました。

おふくろはオヤジの母が町内会の婦人会長だったので、町内のご婦人方に防空頭巾の製作指導を手伝わされで寝るのは毎日2時だったとよく聞かされました。

橋の下に埋めた貴重品は橋ごと吹っ飛ばされて金目のものは無くなったとか、その時僕は空から落下する焼夷弾の花火を興奮して喜んだとか、聞きました。

東京の家も無くなり、家族全員で山形に疎開しました。しばらくは疎開したけど東京に住む所もなく、山形の農家に居候でした。

それが何年かして東京に戻り親父お袋とで大八車を渋谷の坂を押していたら、進駐軍の兵隊がジープでその大八車を引っ張ってくれました。

戦争中は鬼畜米兵だったのが、GHQの戦略に乗ってしまいアメリカはそんなに悪くないと洗脳されてしまいました。

建築を仕事にしましたが、アメリカのレーモンドは好きになれないです。
レーモンドは日本で数多くの建築作品を残してますが、東京空爆に当たってどのようにしたら最大の被害を与えることができるか、模型を作って検証したと何かの記事で見たことがあります。

レーモンドにひょっとしたら殺されてたかも知れなかったです。

戦後の歴史では明治のはじめまで教えてくれますが、近代から大戦に至るまでそしてGHQの日本洗脳の流れまでを知らない日本人がほとんどになりました。

どうしたら戦争を回避できるのか、どうして日本はそのような方向に進ざるを得なくなったかを学習しておかないとあっという間に日本沈没が待ってます。

そろそろ戦後75年、目醒めの時ではないかと心配します。