今日は夕刻に仕事の一段落ということで駅前のスタバに雑誌を読みに来た。
スタバはさすがに若い人が多いですね。
日本建築学会の建築雑誌を眺めていたら、懐かしい写真が掲載されていました。
ゼネコンの大阪支店で神戸貿易センタービルの現場を終え、大阪支店の地下鉄5号線難波駅の現場で腐っていたところ、当時の支店の建築部長と交渉して本社の設計部に移動させていただきました。
部長には迷惑をかけてしまった。
当時の設計本部長は大学の先輩でした。
お試しにインドネシアの超高層ビルの設計の一員にいれてくれました。
ヌサンタラビルは柔構造理論の武藤清教授の実験的性格を持ったビルでこれを完成させてから
そのデータを基に霞ヶ関ビルを完成の予定でしたが1965年のインドネシアの政変で一時工事がストップしてしまい鉄骨だけが残ってました。
日本戦後賠償の工事でした。
丁度タイミングよく設計の時期に設計部に配属になり、一員として参加出来ました。
図面ではトイレとか階段の図面ばかり描いてました。デザインの才能とかは無かったのかファサードとかは他の人のを見てるだけでした。
卒業論文が霞ヶ関ビルの生産と設計だったのでこの仕事に回されましたが、当時の本部長は私のデザインに不安があり、卒業設計を見せろと言われましたが、設計本部長に見せられるようなしっかりしたことはやってなかったので結局見せずに済みました。
この時のわがままを押し通した事があり、サラリーマンとしては粗末な時期を終えてしまった。
ヌサンタラビルの写真を見て昔のわがままを、愚息からもらったスタバのコーヒーカードでラテを飲みながら反省してます。
本部長は今はこの世にはいないんですけど。