天才はどの様にして神の声を聞くか

音楽の天才といえばペートーベンですが、まだ耳が聞こえてる時に弾いた一曲が「月光の曲」ですが音楽の神が乗り移ったかの様だったとある。

この頃から耳が聞こえなくなり、下界と遮断され、彼の内界はには神の声が聞こえてくる様になる。

ペートーベンに遅れて17年後の天明7年に農業復興と経済の天才である二宮金次郎がこの世に生まれる。

二宮金次郎小田原藩主大久保忠真の命により桜町領の復興計画が一時挫折し、成田山新勝寺に篭って21日間の断食修行を行なっている。

ここで不動明王の声を聞き悟得開眼する事が出来た。

この不動明王の声で復興事業の障害が消えた。

ペートーベンが交響曲第九番「合唱」を演奏指揮したのち万雷の拍手が湧き起こったが、耳の聞こえないベートーベンはその初演が成功だったのを知らせてくれたのが女性歌手でした。

手を取り聴衆の方に振り向かせてくれました。

今日のランチは息子が教えて誘ってくれた最近流行っている地元のイタリアンでした。

今日はチーズの入ってないピザでした。

地下シェルター

今、日本の課題は少子高齢化です。
もう一つが中国の台湾侵攻の危険性があるということです。

これに対して建築が出来ることは何かを考えることと思います。

中国からの脅威は台湾だけでなく、尖閣諸島、沖縄、日本の米軍基地にまで飛び火する可能性があります。

台湾では人口の300%のシェルターがあり、学校、ビル、集合住宅にはシェルターの義務化があるようです。

東京都は太陽光発電を住宅に義務化しようとの動きですが、ビルの地下3階をシェルターにするように助成金を出すようにならないかと思います。

人が居なければ日本を守りきれないと思います。

地下シェルターの話題が建設会社からも世論からも湧き上がって来ないのはウクライナは他所ごとと感じている人が多いからなのかと思います。

しばらくそこで生活出来るようにコンクリートだけでなく空調、電気、給排水がどの程度あればいいのか話題にも登って来ないようですね。

僕はB 29の焼夷弾を逃げて疎開した世代なので戦争の話は親からも叔父さんからも聞いているので、心配ではあります。

政府内で誰か考えているんだろうか?

パナソニック現場見学会→賀詞交換会

今日はパナソニック現場見学会が大森の山王2丁目で10時からあり、夕刻の5時から賀詞交換会が山王日枝神社隣のキャピトル東京であり、見学会終えてからの6時間をどう過ごすのか困りました。

大森駅から3分の清浦さんの坂のそばが現場で木造の二軒長屋です。

駅ビルの中のUNICOという家具屋さん店員さんとでお喋りしていたら買う雰囲気になってしまいました。

昼になって駅ビルの上の階が食堂街と教えてもらってぐるぐる回ってお店を決めかねていましたが、季節の牡蠣の入ったお蕎麦にしました。

大森からJRで新橋まで来て、銀座線で赤坂見附で下車、お茶してから日枝神社でお札を買ってまだ1時間半あります。

神社の天辺までエスカレーターです。

国会議事堂方面に下るとホテルです。

ロビーで着物姿のお姉さんがお琴を弾いています。外人客は珍しいのか写真を撮ってます。

交換会が始まると、来賓の挨拶が国会議員とか区長とか議長とか次から次へとあるので一旦外に出て入口近くの椅子で座ってビデオを見てました。

乾杯に先立ちウエルカムコンサートとしてお琴とハープの演奏がありました。

君とサスティナブル、春の海、チャルダッシュとか聞いたことない曲ばかりでした。

今日は上手くいかない日…

ときどき物事が捗らずにあくせく時間が取られることがあります。

正に今日がそれでした。

一つは娘がタクシーで都内を目指すが途中で体調が悪く家に家内と一緒に引き返してきたこと。

一つは趣味の会の定例日と思い町田の生涯学習センターまで行き、その場で今日の会合は無いとわかったこと。

もう一つは車のとこでディーラーに問い合わせたら対応がそっけなく、二月の中旬までは対応してくれないとなったこと。

ときどきいろんなことが一緒に上手く行かなくなることがあります。

今日はそんな日でした。

こんな時は鶴見川の鷺のように陽に当たりながら居眠りでもすると良いと思います。

途中まで読んだ百田尚樹の「今こそ韓国に謝ろう」を読もうと思います。

賀詞交換会

3年振りに事務所協会の賀詞交換会に参加した。

三年前と同じ中華街のホテルでした。

関内駅から野球場を抜けると中華街の入り口の門があります。

賀詞交換会の主賓は衆議院議員の甘利大臣です。

少し遅れて来られて挨拶がありましたが、興味深い話では日本のシリコンバレーの話でした。

九州に半導体の工場が誘致されましたが、今度のお話はもっと景気浮揚となる大きな計画のようです。

楽しみです。

二次会は中華街の小さなビルの3階でやりました。

入り口で小籠包を一つの棒で二枚の皮を器用に作って具を入れてました。

帰りに中華街のお土産なんかと考えましたが、夜の9時を過ぎると人通りも少なくなりちょっと寂しくなります。

まだまだ景気は浮揚してないなと感じます。

甘利大臣が話されていたようにインフレになってお金に働いて貰わないと経済は上手く循環しないのかなと感じます。

翡翠 かわせみ

かわせみを漢字で書くと翡翠になります。

駅までの道のりで鶴見川沿いを歩いていたら翡翠に出会いました。

翡はオスのかわせみ、翠はメスのかわせみを指すようです。

翡翠はヒスイとも読まれ中国、アジアで産出される宝石です。

金よりも高価とも言われ、日本では糸魚川で取れます。

翡翠はどちらも羽という字が入っていて高く、遠くには飛べない鳥だとか先輩が教えてくれました。

今日は綺麗な鳥を見れたから幸運でした。

鹿島建設と二宮金次郎

鹿島建設の本社はもとは東京駅八重洲口にありました。

鹿島に婿養子として社長、会長となった鹿島守之助は会社を大きく発展させましたが、元々法学博士であり日本外交史の研究と執筆に力を入れてました。

本社が赤坂に移転すると元の本社をどうするかということで全館書店の巨大な八重洲ブックセンターを作るごとになり当時副社長の河相全次郎が開業することになりました。

ところが、建設の後ろ楯の鹿島守之助が亡くなってしまった。

守之助さんの奥様、すなわち鹿島創業家の流れをくむ鹿島うめさんが遺産として残された元手で完成しました。

当時バブルで浮かれていた世相を二宮金次郎の報徳精神に戻るべきではなかろうかと河相全次郎が二宮金次郎のブロンズ像を店頭に置き、そばに金箔を置きそれを売りました。

書店に来た人が願掛けとして金箔を貼るので金の二宮金次郎像になってしまった。

ここで集まったお金で河相社長は全国の小学校に「マンガ二宮金次郎」を寄贈してきました。

ところで鹿島うめさんの趣味は絵画です。

お寺と格子天井に花の絵を何枚も描かれたのを思い出します。