病院で元町内会長と廊下で出会った。こちらは人間ドックで指摘の泌尿器科で会長は内科でした。しばらくぶりに会話していると、趣味の本を書いたという。タイトルは「俳諧忠臣蔵」昨年執筆したという。夜、スクーターで我が家のポストに届けてくれた。
こちら昔は小学校が高田馬場にあり、通学途中で堀部安兵衛の碑は毎日見ていました。
早速、安兵衛のところを読んだ。
「忠孝に命を捨つる武士の道
矢たけ心の名をや残さん」とあった。
もともと越後新発田の生まれで中山安兵衛だったが、高田馬場の道場仲間の菅野六郎左衛門の果し合いで助太刀して、相手方3名を討ち果たし、一躍有名になり堀部安から養子縁組の申し出があり堀部性になったとある。
高田馬場は昔は馬場で、仲間の菅野六郎左衛門は馬廻り役でした。
安兵衛も浅野内匠頭の配下の堀部家に養子縁組しなければ辞世の句を残して切腹には至らなかった。
人の世の流れはどうなるかわからない、毎日が右か左かの選択です。
そしてその人の人生が形づくられます。
47士には堀部性が二人いるのは、こういう流れと理解できました。